ーふるさとの山:眉丈山(びじょうざん)と手前は邑知潟(おうちがた)ー 


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歌評について

 
  皿の上()にひとつぶの水が光りをり梅の花びらで(すく)へるほどの
                                    河野裕子

 
 
 『わたしはここよ』は、2010年8月に亡くなられた、河野裕子さんの遺エッセイ集である。
 決して上手く言おうと思っているわけではない……。 が、〈歌の評が苦手〉
なのが、わたしの悩みの種である。そんなわたしに、目次の項、「紅白歌合」は目から鱗だった。(歌合とは歌人を左右に分け詠んだ歌を競い合う遊戯のこと。歌の優劣を決める人を、判者という)
 そこには次のようなことが書いてあった。
 
わたしはここよ・掲歌はそのときの紅白歌合に出されたお歌である。
『応援団(小説家、タレント、評論家、コピーライターたち)の中から、「これは小さな幸せを歌った歌なんです」という読みが出て、「へぇー」とびっくりする。思いもしない批評である。』
『歌人たちは、たいていの場合、ことばとことばの続き具合にこだわって批評することが多い』
『五・七・五・七・七の各句のことばとことばの関係。それが大事。そして各句をつなぐ助詞や助動詞にこだわる』

 さらに、
『ところが歌人ではない人たちの多くは、歌をまず意味で読み解こうとする傾向がつよい。人生論的に観念的に読んで、歌に意味を与えようとしがちである。
 短歌や俳句という短詩型のおもしろさは、十人いれば十とおりの読みが成立するという読みの多様性にある。』
 と続く。
 
 そうなんだー。確かにわたしは、歌をまず意味で読み解こうとするところがある。 直感的に、「あ!いいな。  これはあまり‥」などと自分の歌は棚に上げて選歌する。歌を詠んではいるけど、読みの足らないただの歌好きにすぎない。
 あぁ、こういうのを、歌詠みの歌知らず(?)というのかも。
 ……反省しきりである。
 
 
『歌合は紅組の勝ちで終わった。やはりうれしかった。』
 と結ばれていた。
 


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Author:游(ゆふ)
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