ーふるさとの山:眉丈山(びじょうざん)と手前は邑知潟(おうちがた)ー 


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百人一首☆今‐昔

<No.23>
月見れば ちぢにものこそ 悲しけれ わが身ひとつの 秋にはあらねど
                                     大江千里

       (つきみれば ちぢにものこそ かなしけれ わがみひとつの あきにはあらねど)

  
秋の月を見れば
物思い「さまざま
心は千々(ちぢ)に乱れてうら悲しいのだ
私ひとりのために
秋がきたのではないけれど

・「山風(やまかぜ)を嵐(あらし)といふらむ」という頓智は、現代ではさほど面白くもないが『古今』的おあそびの一つで、紀友則の歌にも
 「雪ふれば 木毎に花ぞ 咲きにける いづれを梅と わきて折らまし」――梅の字を分析して「木毎に花」と言いかぶせている。
  
・作者/歌人名:大江千里(おおえのちさと)
・出展:『古今集』秋上・193。
  
歌仙絵師 千絵崇石

秋の歌:月夜見(つきよみ)

 
<游の読む百人一首>…敬称略
あらたまるなき人間を照らしつつしろがね円き月は旅人
                                     伊藤一彦

              伊藤一彦(いとうかずひこ ) =(第六歌集 『海号の歌』1995年)所収
 
 
 ・伊藤一彦は1943年1943年9月12日- (昭和18年)宮崎市に生まれる。
続 伊藤一彦歌集
 「心の花」所属」
 わたしの読んだ海号の歌は『続 伊藤一彦歌集』現代短歌文庫。に収められている。
 教員のかたわら作歌活動を続け、郷土の歌人若山牧水の研究者でもある。
 
 
 
  1990~1991
  わが家の濃き影の中ひむかしへ吹きぬけてゆく風は旅人
  はるかなる海を月かげ浴びながら(やす)まず飛ぶか鳥は旅人
  冬川の底にかがやき天(あも)りたるものにあらねど石は旅人
  こまやかに光満ちゐる水の()をかげなく過ぐる雲は旅人
  垂乳根(たらちね)の母をむらさきつつみゐるゆふべ不在の父は旅人
  あらたまるなき人間(じんかん)を照らしつつしろがね(まろ)き月は旅人
  緑濃き曼珠沙華の葉に屈まりてどこへも往かぬ人も旅人
  極月の竹のはやしに目をつむりわれ消してをり時は旅人




                        ☆
 
 
☆参考文献:「田辺聖子の小倉百人一首(角川文庫)」
☆歌仙絵:歌仙絵師 千絵崇石
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百人一首☆今‐昔

 

ー by 游ー   
 
<游の読む百人一首1> 20首までをまとめました。
 
なんの脈絡もなく気ままに選びました。
歌集より選んだのは13首目の山崎方代からです。
 
右サイドメニューの -Link- 欄からもご覧いただけます♪



百人一首☆今‐昔

<No.22>
吹くからに 秋の草木の しをるれば むべ山風を 嵐といふらむ
                                     文屋康秀

       (ふくからに あきのくさきの しおるれば むべやまかぜを あらしというらん)
 
山風が荒々しく吹くものだから
草木は萎れてしまう
なるほどな 荒々しいから
「あらし」とは よういうたもの
さてまた
山風と書いて
(あらし)()むとは
むはははは
これも納得――
とはいうものの
秋の山風の 身に沁むことわいな
 
・「山風(やまかぜ)(あらし)といふらむ」という頓智は、現代ではさほど面白くもないが『古今』的おあそびの一つらしい。 紀友則の歌にも
 「雪ふれば 木毎に花ぞ 咲きにける いづれを梅と わきて折らまし」――梅の字を分析して「木毎に花」と言いかぶせている。
 この歌は、理屈めいて現代人の共感を呼ばないと貶められがちだが、覚えやすい歌なので、駄作のようにみえつつ古来、ふしぎに人に愛されているそうだ。歌のふしぎな一徳だろうと田辺聖子氏は言う。
  
・作者/歌人名:文屋康秀(ぶんやのやすひで)
・出展:『古今集』秋下・249。
 
歌仙絵師 千絵崇石

風の歌:山風(あらし)

 
<游の読む百人一首>…敬称略
いちにちの読点としてめぐすりをさすとき吾をうつ蝉時雨
                                     光森裕樹

        光森裕樹 (みつもりゆうき ) =(第一歌集『鈴を産むひばり』2010年08月11日)所収
 
 
 光森裕樹は(1979〜〔昭和54年五月〕)兵庫県宝塚市生まれ。
 第五四回角川短歌賞受賞。
 わたしの病む膠原病は、一つの病気ではなく、いくつもの疾患の総称である。わたしはその中の三つを併せ持っている。シェーグレン症候群はその併せ持つ中のひとつで、口腔や眼球の乾燥症状に日々悩まされている。
 物を食べるときはお茶などの水分があれば事足りる。(流し込んでいると言った方が早いかなかァ?) 目のほうは、三種類の目薬を日に何度も、何度もさす。関節リウマチもあるのでこれが面倒でたまらない。パソコンの小さな文字を打ったり読んだりすると目の奥がジーンと痛くなるので目薬は手放せない。
 前置きが長くなりました。
 掲出歌は、「いちにちの読点としてめぐすりをさす」のである。
 若くて健康だろう光森裕樹のさす目薬は、酷使した疲れ目にさすのに相違ないが、この歌には一読、目から鱗だった(? 笑)。 蝉と目薬の取り合わせの妙。
 うん、うん♪ こんなふうに詠めばいいのだ!(…むつかしいことだけど)
五句の<蝉時雨>は俳句の夏の季語。短歌は季節を問わないらしいが、掲出歌は季夏に詠まれた歌だろう。
 今度、四季を限定しない、「めぐすり」の歌にトライしてみよう。わたしの目薬に感謝をこめて。。
 
 

 鈴を産むひばり:光森裕樹
 
 少しグリーンがかったブルーの表紙には、白い線が縦にランダムに配され、カバーも帯もない。
 歌集を開くと、栞、跋文、栞紐もみあたらない。
 光森裕樹は結社に所属していない。
 
 
  秋の食堂車には蝋燭ゆれやまず身を焦がすとき人は薫れる
  ポケットに銀貨があれば海を買ふつもりで歩く祭りのゆふべ
  売るほどに霞ゆきたり縁日を少し離れて立つ蛍売り
  街頭の真下をひとつ過ぎるたび影は追ひつき影は追ひこす
  母と呼ぶひとふたりゐてそれぞれが説くやさしさの違ひくるしき
  ていねいに図を描くのみの答案に流水算の舟すれちがふ
  まなぶたに焼きつくものが夏ならば小杉いっぽん立ちの夏なり
  乾びたるベンチに思ふものごころつくまで誰が吾なりしかと
  ほほゑみを示す顔文字とどきゐつ鼻のあたりで改行されて
  喫茶より夏をみやれば木の札は「準備中」とふ面をむけをり
  未来より借り物ををするさみしさに書物なかばの栞紐ぬく
  ゼブラゾーンはさみて人は並べられ神がはじめる黄昏のチェス
  ドアに鍵強くさしこむこの深さ人ならば死に至る深さか
  夢を見ぬ夜には誰のゆめのなか彷徨ふ吾か耳さむくして
  あかねさすGoogle Earthに一切の夜なき世界を巡りて飽かず
  あわせ鏡のうちなるごとき街路樹のひとつすなはちすべてに触れゐつ
  齧りゆく紅き林檎もなかばより歯型を喰べてゐるここちする
  大空の銃痕である蜘蛛の巣をホームの先に今朝も見上げつ
  みなもより落葉(らくえふ)ひとつみなぞこへ落ちなほしゆくさまを見てゐつ

 ・一首目の下の句、「身を焦がすとき人は薫れる」に惹かれた。だが、「身を焦がす」が慣用句なのが気になる。また、若い人に特有な難解な歌もあったが、それ以上に、比喩や気付きの歌に共感できるものが多くみられた。
 最後の<みなもより落葉…>の歌はいいなぁ、と思う。
 下記の青春歌もうなづける。「まひまひ」はかたつむりですよね?
 
  少年の日はあめあがり風船に結はへて空へ放つまひまひ
  にはたづみに見おろす葉月のあをぞらに鳥を待ちゐしのみ少年期
  花積めばはなのおもさにつと沈む小舟のゆくへは知らず思春期
  砂時計おちゆく砂と等量にのぼるものあり青年期過ぐ




                         ☆
 
 
☆参考文献:「田辺聖子の小倉百人一首(角川文庫)」
☆歌仙絵:歌仙絵師 千絵崇石


百人一首☆今‐昔

<No.21>
今来むと いひしばかりに 長月の 有明の月を 待ち出でつるかな
                                     素性法師

       (いまこんと いいしばかりに ながつきの ありあけのつきを まちいでつるかな)
 
あなたが これからすぐ行くよと
おっしゃったばかりに
まあ どうでしょう
秋の夜長を ずうっと私は待ちこがれ
とうとう九月の有明の月が出るまで
むなしく過ごしてしまったわ
   
・女性の心持ちになってうたったもの。怨みの口吻(くちぶり)もただよう。
 素性法師(そせいほうし)は生没年不明。九世紀後半から、十世紀はじめの人らしい。素性(そせい)は自発的に出家したのではなく父親に坊さんにさせられてしまったそうだ。
 父親は僧正遍昭(そうじょうへんじょう)。12番の「天つ風 雲のかよひ路 吹きとぢよ をとめの姿 しばしとどめむ」の歌の作者である。
 田辺聖子氏は素性法師の名になつかしい思い出があるという。―――女学生時代、自習時間にクラス中が騒いでいると隣の教室の先生がついと来られて、黒板にさらさらと歌をお書きになった。
 底ひなき (ふち)やは騒ぐ 山川の 浅き瀬にこそ あだ波は立て   素性法師
底知れぬような深い淵は水音を立てたりしない。川の浅瀬の方こそやかましい音を立てるものだ。先生は歌の説明をされて、ひとこと、
 〈静かにせい!〉といって出て行かれた。 ―――   
 
・作者/歌人名:素性法師(そせいほうし)
・出展:『古今集』恋4・691。
 
歌仙絵師 千絵崇石

情熱恋の歌・澪標恋(みおつくすこい)

 

<游の読む百人一首>…敬称略
陽に透ける塵掴まんとする直歩よ手に入らないものはあるのだ
                                     荒井直子

          荒井直子(あらいなおこ) =(第一歌集『はるじょおん』2005年10月05日)所収
 
 
 わたしにも同じような経験がある。固めの紙を○や△、□に切り取って、色とりどりの折紙を貼り、糸を通し、手ごろな棒にぶら下げる。そして、ベビーベッドに、とりつければ手製のモビールの出来上がりだ。
 子は、風にゆれる赤や黄色のそれを、手を伸ばし掴もうとするのだが、如何せん、3、4ヶ月(位だったか?)の赤ちゃんにはムリなこと。どんな気持ちだったろうか、知る由もないが。…もどかしかっただろうね、きっと…。
 人は、努力すれば夢は叶うものと確信している。しかし、ある程度の・・と付け加えたい。その上を望むには或るものが必要である。それは、神様から選ばれた人にのみ与えられた「運・才能」という「力」だ。
 直歩ちゃんも愚息も 「手に入らないもの」 が、この世にあるということをを赤ん坊時代に体得したのだ・と思いたい。 いいえ! 愚息はともかく、まだ幼いだろう直歩ちゃんは未知数だ。
 
 『はるじょおん』
 
 荒井直子は「塔」に所属。
 「作品1」欄に歌を発表されている。
 年齢はわたしよりず〜っとお若いが、歌歴はながく大先輩だ。
 このブログの読者でもあるネットフレンドの、
「mi」さんを介して、ご歌集『はるじょおん』をおくって頂いた。
 
 
  身籠るとはかく凄まじきものなるか ししゃものからだの八割たまご
  なまぬるき風に吹かれているわれは纏足をした男の子なり
  かいわれは何か哀しき野菜なりハートをふたつも持っているのに
  ガラスの心強化ガラスに張り替えるかくしてようよう老いゆく心
  掬われることなき日々は漂流物いっぱい浮かせたまま流れゆく
  向き合って食事しながら上下する喉ぼとけ見ていると落ち着く
  子どもらのかけっこ転ぶ子もありてイラン映画の青空が好き
  少しずつ部屋狭めつつ生活は軌道に乗っていくことを知る
  雀の木かと思うほどたくさんの雀がとまっている裸木に
  幾重にもキャベツが芯を巻くように私は胎児をくるんで太る
  もう生きていない子がまだ生きているわが裡にいて静もりている

 

 二首目はよく解らないながらも印象に残った、不思議なお歌。
 六、九、十首目のお歌には、遊び心と言おうか、おかしみが感じられた。
 集中、わりとつよい言葉の表現がみられる。それは時として攻撃的な物言いになる。この世の理不尽な出来事に立ち向かおうという姿勢が、迎撃というかたちになって迸るのだろう。秘めた正義感、繊細さが『はるじょおん』の随所にみられた。
 
 
                        ☆
 
 
☆参考文献:「田辺聖子の小倉百人一首(角川文庫)」
☆歌仙絵:歌仙絵師 千絵崇石


百人一首☆今‐昔

<No.20>
わびぬれば 今はたおなじ 難波なる みをつくしても 逢はむとぞ思ふ
                                     元良親王

          (わびぬれば いまはたおなじ なにわなる みをつくしても あわんとぞおもう)

 
 人は私を指さしてそしる
 不倫の恋に狂う()れ者と――
 世間の目に(とが)められ
 もはや あなたに()うことも
 ままならぬ世のおきて
 あなたを恋うて物狂おしく
 悶々(もんもん)の日々
 ええい もはやおなじこと
 噂が立ったいまは
 難波(なにわ)のみおつくしではないが
 身をつくして 破滅しても ままよ
 あなたに逢いたい
 逢わずに()くものか
   
・元良親王は、恋多き美男として有名であった。この歌『後撰集』の恋の部に、「事いできてのちに、京極御息所(きょうごくのみやすんどころ)につかはしける」として出ている。宇多院の愛妃と恋愛沙汰をおこし、それが世に漏れ人々に噂されるようになってしまった。「事いできてのち」というのは、それを指す。
 しかし、なんとまあ激しい恋であることか!
 「みをつくし」は「澪標」と「身を尽くし」との掛詞。
   
・作者/歌人名:元良親王(もとよししんのう)
・出展:『後撰集』恋5・960。二句切れ。
 
歌仙絵師 千絵崇石

情熱恋の歌・澪標恋(みおつくすこい)

 
<游の読む百人一首>…敬称略
あやとりの東京タワーてっぺんをくちびるたちが離しはじめる
                                     笹井宏之

          笹井宏之(ささいひろゆき) =(第一歌集『ひとさらい』2008年1月25日)所収
 
 笹井宏之(1982〜2009〔昭和57年8月1日〜平成21年1月24日〕)佐賀県生まれ。
 若い死は痛ましい。若い夢は無限に膨らんでゆくのに26歳で旅立たれた笹井宏之の思いを察すると言葉がでない。また、あとがきに療養生活をはじめて十年になるとあった。
 歌集『ひとさらい』には、未来短歌会に入会するまえの、2005年3月から2006年4月までの、14箇月間の作品が収めてある。
 小学生位の時、雪や雨が降って外遊びが出来ない日などよく綾取りをした。毛糸の紐を輪にして、十指に糸を引っ掛けながら、「川、梯子、箒」などを作って遊ぶ。二人でするのが「二人綾取り」だ。
 掲出歌はおそらく「一人綾取り」を詠ったのだろう。二人でするところを一人でするのだから、子どもながらに何か方法を考える。…そこでくちびるや歯を思いつくわけだ。数人の子どもたちが口をすぼめたり歯をむきだしたりして糸を操る様子はなんとも愛らしくユーモラスだ。
 

     拾ったら手紙のようで開いたらあなたのようでもう見れません
     からだにはいのちがひとつ入ってて水と食事を求めたりする

  一首目、「見れません」に、ん?と立ち止まった。これは「ら抜き」ではないだろうか。「五段活用、サ変活用の動詞には『れる』がつき、それ以外の活用の動詞には『られる』がつく」。「見る」は上一段動詞だから、「られる」がついて「見られる」である。「見れません」は「見られません」ではないだろうか。
 また、とても共感を覚えたお歌だけに、二首目の「入ってて」の表現が、甘ったるく感じられ気になった。
 以上、偉そうなことを申しました。しかしこれらは、今の若者たちの傾向なのかもしれない。
 

 

 笹井宏之の歌はちょっと異色だ。多くの歌人に絶賛されて
いるようだが、リテラシーのないわたしには読み解けない歌
が多かった。
 それでも、こころの抽斗に(しま)っておきたい歌を掬いあげたの
で記しておく。

   二十日前茜野原を吹いていた風の兄さん 風の姉さん
   えーえんとくちからえーえんとくちから永遠解く力を下さい
   からっぽのうつわ みちているうつわ それから、その途中のうつわ
   ふわふわを、つかんだことのかなしみの あれはおそらくしあわせでした
   雨ひかり雨ふることもふっていることも忘れてあなたはねむる
   ウェディングケーキのうえでつつがなく蝿が挙式をすませてかえる
   蛾になって昼間の壁に眠りたい 長い刃物のような一日
   影だって踏まれたからには痛かろう しかし黙っている影として
   空と陸のつっかい棒を蹴飛ばしてあらゆるひとのこころをゆるす
   ブレーカーを落してまわる 人生に疲れたひとたちのなれのはて
   フロアには朝が来ていて丁寧にお辞儀をしたらもうそれっきり
   いつもより遠心力の強い日にかるくゆるめたままの涙線
   おりものに織られて届くどちらかといえばあなたのようなぬくもり
   どんなひともひかりのはやさたもってる みえたしゅんかんにみえてしまう
   絵のなかで尻尾をつけた動物と見つめあう一枚のおじさん
   晩年のあなたに窓をとりつけて日が暮れるまで磨いていたい
   果樹園に風をむすんでいるひとと風をほどいているひとの声
   運河へとわたしのえびが脱皮する いろんなひとを傷つけました

   
                        ☆
 
☆参考文献:「田辺聖子の小倉百人一首(角川文庫)」
☆歌仙絵:歌仙絵師 千絵崇石


百人一首☆今‐昔

<No.19>
難波潟 みじかき芦の ふしの間も 逢はでこの世を 過ぐしてよとや
                                    伊勢

(なにわがた みじかきあしの ふしのまも あわでこのよを すぐしてよとや)
 
 難波潟(なにわがた)に生い茂る(あし)
 その中でもことに短い芦の
 その(ふし)と節の間は
 いっそう、短いわ
 そんな短い逢瀬(おうせ)の機会さえ
 あなたはつくってくれず
 あたしにこのまま過ごせというの?
 これっきりだと あなたはいうの?
   
・伊勢の家集 『伊勢集』には、詞書に「秋のころうたて人の物言ひけるに」とある。心変わりしたつれない恋人の手紙に対する返事である。伊勢の歌は、才気があるあまりに技巧的で、それが現代的嗜好からやや逸れ、受け入れられにくいところがあると、田辺聖子は言う。
・非常に高度なテクニックを使用している箇所。
 「難波潟 短き芦の」:「ふし」を導く序詞。芦の節と節の間は短いため、
 短い時間の比喩に用いた。
 「ふし」:「節」と「伏し」がかかる。
 「よ」:「世(人生・男女の仲)」と「節(よ)」の掛詞。
 「すぐしてよとや」:「過ぐし(動詞・サ四・連用形)」+「てよ(助動詞、完了、命令)」
 +「と(格助詞)」+「や(係助詞)」
 縁語:「夢」「ふし」「よ」のグループと「芦」「節(ふし)」「節(よ)」の、二つの縁語
 グループがある。 
   
・田辺聖子の小倉百人一首では上記のように、≪みじかきの≫であるが、他をみると≪みじかき蘆の、または、葦の≫のような表記もあることを記しておく。
 
・作者/歌人名:伊勢(いせ)
・出展:『新古今集』恋1・1049。
 
歌仙絵師 千絵崇石

情熱恋の歌・葦の恋(あしのこい)

 
<游の読む百人一首>…敬称略
生ける蛾をこめて捨てたる紙つぶて花の形に朝ひらきをり
                                     森岡貞香

            森岡貞香(もりおかさだか) =(第一歌集『白蛾』1953年)所収
 
 森岡貞香(1916〜2009〔大正5年3月4日〜平成21年1月30日〕)島根県生まれ。
 重苦しく閉塞感があり読み続けるのが辛かった。あとがきや年譜によれば、軍人であった夫が帰還後急逝する。この時、森岡貞香は三十歳。
 ひとり子を抱え、戦後の混乱期を胸部疾患で手術を受け、病苦と闘いながら、
短歌を「こころの拠(よりど)」として生きたとあった。
 そんななか、掲出歌にはほっとした。
 「花の形に朝ひらきをり」 ここに森岡貞香は自身の明日をみようとしたのではないだろうか。
 
  うしろより母を緊めつつあまゆる汝は執拗にしてわが髪乱るる
  ねむる子のかたへにわれもねむらなむ灯を消す際の赤き赤き頬
  渚にてみじかき髪を乱しをるわがをさな子をわれは見てをり
  享けしいのちそのまなざしに子はをりをり亡き夫となりわれを見据うる
  ねむるときまなうらに写す明日があり子と街へ出てくれよん買はうよ
 
  飛ばぬ重き蛾はふるひつつ女身われとあはさりてしまふ薄暮のうつつに
  清潔なる手足をのべてねむらなむ今日を悪日と思へる夜も
  月のひかりにのどを湿してをりしかば人間とはほそながき管のごとかり
  ほそぼそと生きたくはなし畳よりえんに這出づるに病む喉鳴りぬ
  人は死にてもわれ死ぬること考へず病みこもる日日は冬眠に似よ
  窓辺近く骨切りしままのわがあふ臥し月夜は月に照らされてをり
  近よりざま足からませて来し吾子に胸とどろかせわれはつかまる
 

 「子を思う母、母をみる子の目」 があたたかく、時には厳しい。五首目「くれよん買はうよ」がいじらしくて胸が熱くなった。
 また、未亡人として懸命に生きてゆこうとする気魄が感じられ、「ほそぼそと生きたくはなし」 「人は死にてもわれ死ぬること考へず」 と健気に病魔と闘い手術をうける。そして十二首目、生還した母は、待ち受けた子の少年に「胸とどろかせわれはつかまる」。
   歌集『白蛾』の最後の歌。
   傷痕あるわれの行末思ふときふところ手してえんに坐しをり
 
 
                        ☆
 
 
☆参考文献:「田辺聖子の小倉百人一首(角川文庫)」
☆歌仙絵:歌仙絵師 千絵崇石


百人一首☆今‐昔

<No.18>
住の江の 岸による波 よるさへや 夢のかよひ路 人目よくらむ
                                    藤原敏行朝臣

(すみのえの きしによるなみ よるさえや ゆめのかよいじ ひとめよくらん)
 
 住の江の 岸による(、、)
 その よる(、、)の夢路にさえ
 きみは 人目を()けて
 ぼくと 会ってはくれないのか
  昼は無論のこと、夜の夢にさえ
  きみは訪れてくれないじゃないか
   
・住の江の岸は、大阪市住吉(すみよし)区の住吉大社あたりの海岸で、歌枕(うたまくら)であるが、ここでは「よる」をひきだすための序である。
 先出の業平とは相婿になる。妻どうしが姉妹である。
 あの、有名な「秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ 驚かれぬる」は敏行の佳作である。
 また、敏行は、世に聞こえた能書家であった。
  
・作者/歌人名:藤原敏行朝臣(ふじわらのとしゆきあそん)
・出展:『古今集』恋2・559。「
 
歌仙絵師 千絵崇石

忍ぶ恋・夢の恋路(ゆめのこいじ)

 
<游の読む百人一首>…敬称略
ゆたかなる弾力もちて一塊の青葉は風を圧しかへしたり
                                     横山未来子

       横山未来子(よこやまみきこ) =(『樹下のひとりの眠りのために』1998年12月)所収
 
 横山未来子(1972〜〔昭和47年1月9日〕)東京都生まれ。
 掲出歌は、『啓かるる夏』 30首のなかの一首である。
「ゆたかなる弾力」とはなんと奥深い言葉だろう。今を生きるわたしたち現代人に欠けているものをあげるとしたら、この弾力ではないだろうか。物事を受け入れるにしても拒むにしても、弾力をもたせて対処できたならスムースに事が運び、もっと楽に暮らしていけるような気がする。最近、些事塗れになって喘いでいるわたし自身への自戒の歌と思いたい。
 若い歌人に、口語短歌を詠むひとが多いなか、横山未来子は文語律の歌を詠んでいる。平明で静謐な詠みぶり、その爽やかさはわたしを惹きつけてやまない。
   ・瞬間のやはらかき笑み受くるたび水切りさるるわれと思へり
   ・ひとはかつてわが身めぐりを指さして全てのものを名づけたりけり
 <游の百人一首>を選ぶにあたり(僭越ながら‥)、上記二首もすてがたく迷った末の、掲出歌であった。
 
 
 写真は、『セレクション歌人30横山未来子集』に収められているのをお借りした。
 撮影/横山未美子(未来子のお姉さん)
   やさしさを噛みしめをれば暗緑の
       クレソンの葉の苦みにじみ()
   おぼろなる心に小石投げ込みて
       その優しさの深さ知りたし
   やさしさとふ拒絶も知りぬガーベラの
       茎こまやかに水を弾けり
                       展翅さるる日などあらねばやさしさの
                           つねに微風として届くのみ
                       見えぬゆゑ未来はやさし花揺るる
                           あの角までをいま君とゆく
 

 


「人は強くなければ生きていけない、優しくなければ生きていく資格はない」
アメリカの作家レイモンド・チャンドラーが、
作中で探偵フィリップ・マーロウに言わせた台詞です。


 「啓かるる夏」 第39回短歌研究新人賞受賞作品 30首
 ↑クリックしてください。

 
                        ☆
 
 
☆参考文献:「田辺聖子の小倉百人一首(角川文庫)」
☆歌仙絵:歌仙絵師 千絵崇石


百人一首☆今‐昔

<No.17>
ちはやぶる 神代も聞かず 龍田川 からくれないに 水くくるとは
                                    在原業平朝臣

(ちはやぶる かみよもきかず たつたがわ からくれないに みずくくるとは)
 
 滝田川の水の(おも)
 まるで紅のしぼり染め
 紅葉(もみじ)(にしき)(から)くれない
 神代にもこんな美しさがあったとは
 聞いたこともない
 なんとみごとな美しさ
   
・定家(ていか)がえらぶ百人一首。その機縁は晩年ちかく嵯峨の小倉山の山荘にいたとき息子為家(ためいえ)の妻の父である宇都宮(うつのみや)入道(にゅうどう)に、〈広間のふすまに貼りたいので色紙に和歌を書いてほしい)と頼まれ、それに応じたもの、といわれている。
 田辺聖子氏は業平の歌は、掲出歌より、もっといい歌がたくさんある。なぜこれを選んだのか。その選考基準というのがよくわからないという。
 落語では、この歌を物知りのご隠居が説明していて面白く解いているそうだ。
 
  
・作者/歌人名:在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)
・出展:『古今集』秋下・294。
 
歌仙絵師 千絵崇石

秋の歌・紅の水(くれないのみず)

 
<游の読む百人一首>…敬称略
美しき雲ちらばりしゆふつかた帝王のごと機関車ゆけり
                                     葛原妙子

          葛原妙子(くずはらたえこ) =(葛原妙子歌集『葡萄木立』昭和38年)所収
 
 葛原妙子(1907-1985〈明治40年2月5日〜昭和60年9月2日〉)
 わが国での実用の蒸気機関車は明治4年(1871)、イギリスから輸入された10両が最初であった。大正以降は特別な機関車を除いて国産されることになったそうである。
 石炭などの燃料を燃やし、蒸気を吹き上げ驀進するその姿は雄雄しい。掲出歌は<帝王のごと>と表現されていて言い得て妙である。
 また、掲出歌から、茜色にそまった雲をめざすかのように、白い蒸気を吐きながら、黒い塊がつき進んでゆくといった、美しく壮大な景が想像できる。
 と、同時に、実際に見た人たちに畏怖の念を抱かせたことだろう。 
 むかし昔、祖父から聞いた話だが、わたしの故郷、七尾線(金沢ー七尾間)に、この蒸気機関車を走らせる計画が浮上した。
 当時の東側(富山県寄り)の住民は、怪物のような黒塊(蒸気機関車)に怖れをなして大反対し、結局、西側に線路が敷かれることになったそうだ。いつの世も力の弱い方に難事は押しつけられる(?)。
 しかし、お陰さまで最寄の駅は近い。中学、高校の汽車通時代のこと、なんと、自宅で汽笛を聞いてから、ダッシュしても間に合う近さであった。今では、とっくに無人駅になったけれど、駅に近いということはとてもいいことだ。
 話をもとにもどそう。
 葛原妙子より六歳上の山口誓子(1901-1994〈明治34年11月3日〜平成6年3月26日〉)に、 <夏草に汽罐車の車輪来て止る> という俳句がある。(『黄旗』昭和10)
 昭和8年の作とあるから山口誓子の句が先だろう。
 <つき進む機関車と、夏草に来て止まった汽罐車の車輪> この二つに何か通じるものがあるように感じられてならない。(汽罐車の「罐」は今、当用漢字にはない)

・  ・  ・

 『葡萄木立』は葛原妙子の第六歌集である。手元の葛原妙子歌集にその(完本)が収録されていた。第一から第五歌集もいずれ読みたいが、力のないわたしには葛原妙子はむつかしい。
    <晩夏光おとろへし夕 酢は立てりー本の壜の中にて>
 あまりりにも有名な歌、葛原妙子の代表歌中の代表歌といわれるこの<歌>がよく解らない……。
 下記の歌も決して解ったわけではないが一応、惹かれた歌として抽いてみた。
 『葡萄木立』から……惹かれた歌
   さわだてる酸味ひととき風傷の青きぶだうをくちびるにあつ
   うすらなる空気の中に実りゐる葡萄の重さはかりがたしも
   口中に一粒の葡萄潰したりすなわちわが目ふと暗きかも
   葡萄庫(ぶだうぐら)に蛾の簇生す むらがる蛾と蛾のあひに葡萄の玉見ゆ
   浮嚢のにぶきひかりよ魚を割く指のぬめりの更ににぶかりき
   ()きし家に空きたる壜と棲みをれば木の間をきたるあはき黄熱(くおうねつ)
   木立の家に無数の壜の立てるなれ 立つとうこといかにさびしき
   飲食(おんじき)ののちに立つなる空壜のしばしばは遠き泪のごとし
   酢のごとくほほゑまむかなひきつめし髪の殘り毛卷きつけながら
   白蟻の(くち)など見えてわが血は少しづつ蝕まれゐるべき
   坂の上にしづかなる尾を垂れしとき秋の曇天を魚というべし
   をさなごの指を洩れゐるものあまた 花絡(はなづな)のごときもの 星のごときもの
  
 
                   ☆
 
 
☆参考文献:「田辺聖子の小倉百人一首(角川文庫)」
☆歌仙絵:歌仙絵師 千絵崇石

 


百人一首☆今‐昔

<No.16>
立ち別れ いなばの山の 峰に生ふる まつとし聞かば 今帰り来む
                                    中納言行平

(たちわかれ いなばのやまの みねにおうる まつとしきかば いまかえりこん)
 
 さあて 皆さん いよいよお別れ
 私はいなば(鳥取県)へいにまする
 いなばの国には 松の名所の稲羽山
 峰の松ではないけれど
 わたしをまつ(、、)とおっしゃるならば
 じっきに帰ってくるわいな
   
・行平は有原業平(ありわらのなりひら)の兄である。斉衡(さいこう)二年(八五五)、因幡守(いなばのかみ)に任ぜられた。
 <任地に旅立つ送別の宴で詠んだ挨拶の歌であろう>と大岡信氏の解釈がある。別れの歌という悲しみはなく、宴席にふさわしい口調のよろしさ、平明さ、陽気さがある。行平がこの歌を口ずさむと、人々はうまくできているこの歌を好きになってしまい、うちそろって幾度もくりかえした末、酔いも手伝ってみんなで大合唱、「たち別れ音頭」というような具合になったのではないかと思わせられる。・・と田辺聖子氏は言う。
 因みに行平鍋という鍋があるが、昔々、平たい鍋は海水を煮て塩をつくっていたときの道具だそうで塩焼きといい、それからして塩焼きの名所、須磨の浦に住んだ行平を連想し、行平鍋となったのが由来らしい。
 
 
・作者/歌人名:中納言行平(ちゅうなごんゆきひら)
別名:在原行平(ありわらのゆきひら)
・出展:『古今集』365。
 
歌仙絵師 千絵崇石

離別の歌・因幡の松(いなばのまつ)

 
<游の読む百人一首>…敬称略
青葦をドミノ倒しに倒しゆく風は孤独であるかもしれない
                                    杉崎恒夫

              杉崎恒夫(すぎざき つねお) =(『パン屋のパンセ』平成22年4月)所収
 杉崎恒夫氏は1919年(大正八年)生まれ。 昨年、この第二歌集を編集中に永眠されたという。 ご冥福をお祈りいたします。
 …息子さんの、杉崎明夫氏の書かれた「『パン屋のパンセ』発刊に寄せて」によると、氏は幼年期に母親と死別し、青春期には父親を亡くされ、ご自身は学生時代に肺結核になり好きな学業を断念された。また、戦後すぐ結婚するが、新婚生活を共に楽しむはずの妻とも死別されたという。(杉崎明夫氏はそののち迎えられた奥さまとの御子である)。
 掲歌はそんな氏の生い立ちと被る。青葦というからには季節は初夏だろう。初夏は生物が躍動する季節。水辺に青々と茂っている蘆をドミノ倒しに倒しゆく風。
 この風は孤独な青嵐なのだ。青嵐は俳句の季語で、歳時記によると<初夏の青葉を揺すって吹き渡るやや強い風。せいらん>とある。一番、親を必要とする時期に、ご両親がいないさびしさ、心細さはいかばかりかと思う。
 しかし、青葦はこの青嵐に吹かれることにより、長じて、揺るがない平穏な日々を得るのである。
     この夕べ抱えて帰る温かいパンはわたしの母かもしれない
 
 
 町並みを描いた表紙絵はメルヘンチックで歌集の中身とマッチしていて楽しい。
・表紙の帯の歌・
  わが胸にぶつかりざまにJe(ジュ)とないた蝉はだれかの
  たましいかしら
  バゲットの長いふくろに描かれしエッフェル塔を真っ直ぐ
  に抱く
  卵立てと卵の息が合っているしあわせってそんなものかも
  知れない
  大文字ではじまる童話みるように飛行船きょうの空に浮か
             べり
             星空がとてもきれいでぼくたちの残り少ない時間のボンベ
 
・      ・      ・ 

 「パン屋のパンセ」のパンセ( 、 、 、)ってなんだろう?と思い読み進んでいくと、次の歌に出会った。
<パンセパンセパン屋のパンセ にんげんはアンパンをかじる葦である>
 …そうか、パスカルだったのか。そういえばあの、「クレオパトラの鼻がもう少し低かったら…」の一節もパスカルだった。と、ついでに思い出した。
「パン屋のパンセ」は、≪言の葉の宝石箱≫だ。
 時には、哀しく、物悲しく、そしてユーモラスに。また、とてもみずみずしい。 みずみずしさは若いひとの特権のようにおもわれがちだがそうではない。齢を取ったから…云云は、出来ないことへの言い訳に過ぎないと思い知らされた、わたしなのです。。
 享年90歳の杉崎恒夫氏の印象に残ったお歌を抽いてみよう。
 
 エスカレーターにせり上がりくる顔顔顔 朝のホームは魔術師である
 仰向けに逝きたる蝉よ仕立てのよい秋のベストをきっちり着けて
 ペルセウス流星群にのってくるあれは八月の精霊たちです
 晴れ上がる銀河宇宙のさびしさはたましいを掛けておく釘がない 
 三月の雪ふる夜にだす手紙ポストのなかは温かですか
 「時間」があそんでいるよ くずかごに撚りをもどしていくセロファン紙
 カミソリを使うとき目が吊りあがる優しさだけでは生きていけない
  
 
                   ☆
 
 
☆参考文献:「田辺聖子の小倉百人一首(角川文庫)」
☆歌仙絵:歌仙絵師 千絵崇石


百人一首☆今‐昔

<No.15>
君がため 春の野に出でて 若菜つむ わが衣手に 雪は降りつつ
                                    光孝天皇

(きみがため はるののにいでて わかなつむ わがころもでに ゆきはふりつつ)
 
 あなたにと思って
 まだ寒い早春の野に
 私は出て
 やっと()いそめた
 みどりの若菜をつみました
 その私の袖に
 雪がちらちら
  
・若菜つむ、というのは古くからの習わしらしい。春といってもまだ余寒(よかん)きびしく、雪は降る。しかしもはや土のおもてには青いものが萌えそめている。それを摘んで食べることは、若草のもつ生々たるエネルギーをわが身にうつしとり、延命をねがう、縁起のいい、景気のいいことなのである。 
 
・作者/歌人名: 光孝天皇(こうこうてんのう)
・出展:『古今集』春上・21。
 
歌仙絵師 千絵崇石

春の歌・若菜摘(わかなつむ)

 
<游の読む百人一首>…敬称略
すっぽりとタートルネックを着たわれはきみに気づかぬふりをしている
                                       小島なお

                    小島なお(こじま なお) =(『乱反射』平成19年7月)所収
 
 1986年生まれの小島なおは、十八歳のとき(高校3年の秋)『乱反射』で第五十回角川短歌賞を受賞した。<ちなみに1986年といえば、あの、俵万智が「八月の朝」で 角川短歌賞を受賞した年である。歳月の重さと同時に、誰も止めることのできない時の流れの速さを思った。>
 話は横に逸れたが、それから三年後に刊行されたのが、この第一歌集『乱反射』である。掲歌は恋の歌だ。タートルネックは主にセーターに使われ、亀 (turtle) が甲羅から首を出す様に似ることからこう呼ばれるそうだ。
 顔を埋めるように、深々としたとタートルネックを着た彼女は、きみに気づかないふりをしている。おそらく、彼のほうから気づいて声を掛けて欲しいのだろう。
ここに、少女の小さな恋のかけひきが感じられる。
 十代の女の子が、二十代の女性へと成長する過程が全篇にみられ、少女らしい新鮮さが、純真さが際立つ。そして、若い人にありがちな斬新さはあまりみられず、わたしのようなおばさんでもよくわかる歌がちりばめられている歌集だ。
  
 
   噴水に乱反射する光あり性愛をまだ知らないわたくし
   特急の電車ぐわんとすぎるとき頭の中でワニが口開(あ)く
   こころとは脳の内部にあるという倫理の先生の目の奥の空
   変わりゆく今を愛せばブラウスの袖から袖へ抜けるなつかぜ
   夕映えの部屋でしずかに燃えている母の小さき老眼鏡は
   九階の窓からわれを見下ろして手をふる母は空に触れたり
   ぼんたんを砂糖で漬ける祖母がいていつもうなづく祖父がいるなり
   眠りとは音伴いていもうとはことんと深い眠りに落ちる
 
・一首目は歌集のタイトルになった歌。
 五、六首は母を詠んでいる。母はいうまでもなく歌人の「小島ゆかり」。
 七首目は祖父母、そして八首目は妹を詠んでいる。集中、見逃したのかもしれ
 ないが父を詠んだ歌は見当たらなかった。
・この歌集を購入した頃、わたしは、短歌を始めたばかりで、お母さんの、
 小島ゆかりの歌集は一冊も持っていなかった。いま思えば、若い小島なおの
 感性に触れたかったのだろう。
 約二年の積読状態から、やっと読むことができた。
 
 
                   ☆
 
 
☆参考文献:「田辺聖子の小倉百人一首(角川文庫)」
☆歌仙絵:歌仙絵師 千絵崇石


百人一首☆今‐昔

<No.14>
みちのくの しのぶもぢずり たれ(ゆえ)に 乱れそめにし われならなくに
                                    河原左大臣

(みちのくの しのぶもじずり たれゆえに みだれそめにし われならなくに)

 陸奥の 信夫の里の
 名産品 信夫()()
 もじずりの衣の模様は
 おどろに乱れていますが
 私のこころも それに似て
 あやしく 乱れ初めました
  ―たれゆえと おぼしめす
  ―あなたあなたゆえではありませんか
  ―あなたのために こころ乱した
  ―この私ではありませんか
  
・信夫の里は現在の福島県福島市である。捩花の別名が捩摺。
 河原左大臣は、源(みなもとの)融(とおる)の通称である。権勢欲がふかい融は莫大な富もあり美的センスもあって、逸楽の生活を送っていた。都にいながら、塩がまを立て、塩を焼くさまをさせてみちのくの風雅をたのしむという、前代未聞のぜいたくをしたため、彼のことを河原左大臣と呼ぶようになったのそうだ。
 宇治の別荘はのちに「平等院」になったといわれる。
 
・田辺聖子の小倉百人一首では上記のように、≪たれ(ゆえ)に≫であるが、他をみると≪誰ゆえに≫のような表記もあることを記しておく。
 
 
・作者/歌人名:河原左大臣(かわらのさだいじん)
・出展は『古今集』恋4・724。
 
歌仙絵師 千絵崇石

心変りの歌・恋模様(こいもよう)

 
<游の読む百人一首>…敬称略
花の香は菌の如くにみち殖えぬ花を買えざるわれの夜のため
                                   中城 ふみ子

            中城 ふみ子(なかじょう ふみこ) =(『乳房喪失』昭和29) 所収
 
 古書店で、運よくこの、<定本 中城 ふみ子歌集『乳房喪失ー附 花の原型』>を手に入れることが出来た。乳房喪失の序文は川端康成。が、中城 ふみ子が最初熱望していたのは、石川達三と井上靖いずれかであったらしい。
 今風に言えば恋多き女性の、愛と死がこの歌集のテーマだ。愛といっても子どもへのそれではなく、相聞歌と、癌による死が迫っている女性の、慟哭がつらなっている。
 実は、この乳房喪失は最後まで読んでいない。いつもの斜め読みもできない。胸がきゅんと詰まるわけでもない。31歳の短すぎる生涯を終えた中城 ふみ子。
…残りはゆっくり読もう。 
 とてもとても、わたしなんぞが経験し得ない、愛があった…。
 
 
   いくたりの胸に顕ちゐし大森卓息ひきてたれの所有にもあらず
   たれのものにもあらざる君が黒き喪のけふよりなほも奪ひ合ふべし
   見えぬものに鬼火燃やして蝋とくる淋しき音ともきみの咳きく
   とりすがり哭くべき骸もち給ふ妻てふ位置がただに羨しき         
   口々に死を悼むとも生き残るわれを如何(いか)にといふ声のなし
   衆視の中はばかりもなく嗚咽(をえつ)して君の妻が不幸を見せびらかせり
 
 
・重く切ない歌ばかり目立つが、次のような母の歌に心すくわれる思いがした。
   縋りくるどの手も未だ小さくて母は切なしつくしの野道
   悲しみの結實(みのり)の如き子を抱きてその重たさは限りもあらぬ
   春のめだか雛の足あと山椒の実それらのものの一つかわが子
 
 
                   ☆
 
 
☆参考文献:「田辺聖子の小倉百人一首(角川文庫)」
☆歌仙絵:歌仙絵師 千絵崇石


百人一首☆今‐昔

<No.13>
筑波嶺(つくばね)の みねより落つる みなの川 恋ぞつもりて (ふち)となりぬる
                                     陽成院

(つくばねの みねよりおつる みなのがわ こいぞつもりて ふちとなりぬる)

 
 東国の歌まくら 筑波山
 その峰々からしたたり落ちる
 小さな流れも
 積もり積もれば男女(みな)の川となるのです
 ーーわたしの恋も 次第につもって
   いつしか深い淵となりました
 
・やさしい調べの歌で、民謡のようにのどかなひびきがある。陽成院(ようぜいいん)の妃となった綏子(すいし)内親王(光孝(こうこう)天皇の皇女)に
捧げられた恋歌である
 
・作者/歌人名:陽成院
 
・出展:『後撰集』恋3・776。
 

歌仙絵師 千絵崇石

情熱恋の歌・男女の川(みなのがわ)

 
<游の読む百人一首>…敬称略
一度だけ本当の恋がありまして南天の実が知っております
                                   山崎方代

            山崎方代(やまざきほうだい) =『こおろぎ』 所収

 
 大正三年、山梨県に生まれる。八人兄弟姉妹の末っ子(五人は早世)で、
方代は本名。謂われは「生き放題、死に放題」から。
 二十三年、歌誌「工人」創刊に参加。和歌山から投稿してくる女性同人広中淳子恋をする。正確には、歌の中の淳子に恋をしたのだが、彼女の心には届かなかった。
 生涯独身を貫いた方代であるが、「本当の恋 が一つだけあった。」という。

       方代が広中淳子への想いを手紙に託した
               ヴィヨンの詩 「愛と修道の手紙」
          大陽一つ 月一つ 
          ましてあなたに捧げる愛は一つ
          風が吹いている 花が咲いている 雲が飛んでいる 
          あなたのために
          するどき歌を作る子は
          小さな木槌をふりあげて金の歯型を調べている 
          あなたのために
 
 
                   ☆
 
 
☆参考文献:「田辺聖子の小倉百人一首(角川文庫)」
☆歌仙絵:歌仙絵師 千絵崇石


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  (少しおまけあり♪)
好きな文字 「樂・游」
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游ぐように遊びたい。
「音」所属

 
 
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